2017年1月3日火曜日

許可が必要なものは禁じられている(『文學界』2014年7月号掲載エッセイ草稿)



許可が必要なものは禁じられている。道を歩いたり、自転車に乗るのは特に免許を必要としない。だから、道を歩くのは自由だ、自転車に乗るのは自由だ、と言うことが出来る。
一方、自転車に乗るように自動車を乗り回すことは出来ない。運転が出来るかどうかは関係ない。どんなに運転が上手くとも運転免許を取らずに車を運転すれば犯罪とされ警察に捕まる。だから車の運転は自由ではない。それは禁止されている。
許可が取れるのだから、許されている、自由だ、ということにはならない。殺人でも、死刑を執行する時には許可される。だからと言って殺人が許されている、自由だ、と言うことが出来ないのと同じである。
他方、道を歩くのは許されており自由だ、と言っても、治安や衛生上の理由で立ち入り禁止に指定された場所は入る自由もなく歩くことも許されない。しかし歩くことが禁止されることがあるとしても、それが自由でない、とは言えない。
どんな自由も制限を受け禁止されるうるし、どんな禁止も解禁されうる。だから、行なうために特に許可を必要としないことを「自由である」と呼び、許可を要することは「禁止されている」と呼ぶのだ。
今、人は歩くのは自由だ、と言った。しかし本当はそれは嘘だ。現在、全ての人類は地上を歩くことを禁じられている。人が歩くことを許可されているのは、領域国民国家の領域内だけだ。その領域から一歩足を踏み出そうと思うと、自国から相手国に宛てた通行許可証パスポートを持ち、それに相手国の入国許可ビザをもらわなくてはならない。
この春に私はアラブの友人を訪ねにシリアに行ってきた。最近知り合った日本人の若者は一緒にシリアに連れて行ってくれ、と言うが、パスポートが取れないために行くことができない。幸い私はパスポートを持っているので出国の禁止はクリアーし、トルコの入国禁止に関しても日本のパスポート保持者は空港でビザが下りるので無事に乗り切ることができた。
シリア入国は、友人が住む地域は、シリアの反政府勢力の「解放地」であり、入国にはビザなど必要ない。しかし、問題はトルコからの出国だ。その解放区はトルコ政府との「非公式」な外交関係すらもない地域なので、トルコがその地帯に入ることを禁じ、国境に鉄条網を張り巡らしているのだ。
シリア人との4人連れで日暮れ前に国境に向かうと、トルコのジャンダルマ(国家憲兵)が追いかけてきた。発砲されても気にせず後も振り向かずひたすら国境を目指し傷だらけになりながら鉄条網をくぐり抜けると、ジャンダルマは諦めて帰っていった。後で聞くと、背後数十メートルの距離まで迫られていたらしい。
シリア滞在を終えての帰りも、シリア側から国境を越えるのは「自由」だが、問題はやはりトルコ側だ。トルコからシリアに入った同じ場所から4人でまた鉄条網をくぐって今度は夜にトルコ領内に入った。しばらく叢を歩いていると、突然サーチライトに照らされた。事前の打ち合わせ通り、散開する。1時間余り銃声が鳴り止まぬ捕り物の末に全員が捕まってしまった。撃ってきたのはジャンダルマではなく村の自警団で、銃声は猟銃のものだった。
銃を突きつけられていろいろ尋問された。煎じ詰めると、どうやら我々が頼んでいた「逃がし屋」の運転手が余所者で、自分たちの村を通るのに何の挨拶もなく、余所者の逃がし屋だけが儲けて村に金が落ちないのが気にくわない、という話だったようだ。結局、私は所持金の約300ドル、連れは約2000ドルの現金を巻き上げられた上で、夜道に放り出され、翌日疲労困憊して日本への帰路についた。
現在の人類は皆、領域国民国家の捕囚だ。ただ友人に会うためであっても、自由に歩こうにも国境で阻止される。それでも敢えて自分の自由を守ろうとして歩き続けると銃で撃たれ脅され力尽くで拘束される。人は地上を自由に歩くことすら出来ない。にもかかわらず、人権や自由を誰もが恥ずかしげもなく口にする、それが現代世界の現実だ。
私たちから所持金を巻き上げた自警団の連中も、パスポートやビザを売りつける役人たちも、人間の移動の自由を自分たちで奪った上でそれを返すのに金を取る盗賊、あるいはみかじめ料を徴収するやくざの類いであることに違いはない。密輸や、密入国、不法滞在などという言葉があるが、とんでもない。本来自由な商売、人の移動を禁じ、商品に関税をかけ、人を拘束する方が強盗、誘拐であり、犯罪なのだ。
イスラームは、大地の主権は神に属し、神はアダムを地上における代理人(カリフ)に任命し、人類は皆アダムの子孫として大地を相続した、と教える。
大地を縄張りに切り分け、虚構の偶像神である国民国家リヴァイアサンの陰に隠れて神が人類に託した主権を簒奪する権力者たちのカルテルというのが、現在の国際社会、つまり領域国民国家システムの実相だ。そしてこれらの不正な権力者たちの仮面を剥ぎ取り、大地を人々の手に取り戻すことがイスラームの使命であり、そのイスラームの政治制度がカリフ制だ。
大地を人類に解放するカリフ制の再興のためにジハードに身を投じて殉教するべく、持ち家を処分して私はホームレスになった。仮の住まいは地球の全土。帰る我が家は天の楽園。

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